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SEKAI NO OWARI (Japanese)

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SEKAI NO OWARI (Japanese)

躍進し続ける SEKAI NO OWARI −世界進出に向けて−

バンド「SEKAI NO OWARI」

 

2014年にリリースした「スノーマジックファンタジー」でオリコンランキング1位を、また2013年リリースの「RPG」、2014年にも「炎と森のカーニバル」で2位を獲得し 、SEKAI NO OWARIは急速に日本の音楽シーンを牽引する存在となった。観客ゼロのライブからチケット売り切れ必至のアリーナツアーまでの驚異的な躍進について、メンバーが東京ジャーナルのエグゼクティブ・エディターアントニー・ アルジェイミーに語った。

SEKAI NO OWARI PHOTO2.jpgTJ: お一人ずつ自己紹介をお願いします。
NAKAJIN: Nakajinです。えっと、自分でも嫌になるほど真面目な人間です。大田区出身です。
SAORI: Saoriです。私はピアノとライブの総合プロデュースをやっています。私も大田区出身です。実は私たちみんな幼馴染幼なじみで、すごい近い場所に住んでいる。Fukaseとは4歳から一緒です。
FUKASE: 僕はボーカルをやっています。ずっと髪の毛が赤いです。
DJ LOVE: DJ LOVEです。食べるのが好きです。

TJ: どんな食べ物がお好きですか。
DJ LOVE: 米ですね。

TJ: なぜそのピエロのマスクを使われているのですか。
DJ LOVE: 自分がこのバンドに入る前から、ひとりピエロのマスクをかぶってるメンバーがいて、そのままマスクごと引き継いで、それ以来かぶってます。

TJ: SEKAI NO OWARIというバンド名はどのようにして決められましたか。
FUKASE: 19歳の時に、大きい挫折をして、その時に「世界が終わった」と思ったんです。「世界が終わった」と思った世界の中で見つけたのが音楽だったから、「世界の終わり」という名前にしました。

TJ: バンドはいつから始められましたか?
FUKASE: 僕らが20歳の時なので、7 年前。

TJ: バンドのスタイルはこの7年間で大きく変わりましたか。
FUKASE: 高校の時に着る洋服と、大人になって着る洋服が違うのと同じ理由で、大人になれば趣味が変わる。その時代の流れに沿って変化 したけれど、フィーリングは全然変わってない。

TJ: その頃からファンは随分増えましたか?
FUKASE: はい、増えました。最初はいなかった。お客さんがゼロの時だってあった。

TJ: 本当ですか? どこでライブを始められたのですか?
FUKASE: 自分たちで印刷工場を改装して、club EARTHというライブハウスを作って、演奏してました。

TJ: 日本で一番大きなライブはどこでしたか?
FUKASE: 三日間で六万人が来た、富士急ハイランドでの「炎と森のカーニバル」というフェスティバルです。

TJ: まだ毎回ライブをするのは楽しいですか?
SAORI: うん、毎回楽しい。

TJ: 海外でライブをされたことはありますか?
FUKASE: はい、ちょっとあります。

TJ: 海外でこれまで一番ファンが多かったところはどちらですか?
FUKASE: 韓国かな... ジサンロックフェスティ バル、知ってますか?

TJ: ジサンロックフェスティバルですか? すごいですね。アメリカでライブをされてみたいですか。
FUKASE: はい。マディソンスクエアガーデン? マディソンスクエアガーデンが一番でっかいって聞いて。でっかいとこでやりたい。コーチェ ラとか。

TJ: バンドとしての夢は何ですか。
FUKASE: 難しい質問ですが、四人でやってること。ずっと四人で、飽きないまま頂上を目指 して行くことが俺の夢。

TJ: メンバー間の関係を保つためにどんなことをしていますか?
SAORI: 皆で一緒に住んでる。

TJ: このバンドにいて、一番好きなことはなんですか。
FUKASE: 自分で作った曲をお酒を飲みながら聞くことが一番好き。
SAORI:私も。夜一緒にお酒を飲みながら一緒に聞いてる。私はライブがすごく好き。ライブでみんながすごい楽しんでるのが好き。
NAKAJIN: 僕は曲を作ったり、アレンジとかサウンドプロデュースをしてるので、みんなにファイルを送るんですけど、それをなんかみんながいいって言って聞いてくれるのが好き。たまにしかないけど。
DJ LOVE: ライブが終わった後のケータリングが美味しい。

TJ: 今はどこへツアーをされていますか。
SAORI: 全国 9 都市です。北海道、福岡、新潟、 埼玉、名古屋、大阪、仙台、徳島、広島。

TJ: 血液型は何ですか。
NAKAJIN: 僕は分かりません。ABかOです。
FUKASE: Bです。
SAORI: Aです。
DJ LOVE: Oです。

TJ: どんな音楽を聴かれますか。
SAORI: 日本のヒップホップ。Dragon Ash とか。

TJ: みなさんの音楽のジャンルは何ですか。
SAORI: 時にはロックだったり、時にはポップだったり、また違う時にはテクノだったりしま す。

TJ: みなさんの曲の中に、何か強いメッセージは込められていますか?
FUKASE: 特にメッセージは込めていないです。俺たちはメッセンジャーっていうよりも、エンターテイナー。みんなが楽しいって言ってくれることがすごい大切。

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TJ: それは大切なことですね。今年のツアーで、若い男の人が自殺をしそうになるという映像を使われませんでしたか。
SAORI: あれは私のアイデア。「銀河街の悪夢」っ ていう曲で、曲の中で若い男の人がもう眠れなくて悩んでいて。このまま死んじゃおうかって思って、もう死ぬところまで歩いていくんだけど、やっぱり死ぬことが出来なくて、お家に帰ってくる。

TJ: 一番好きな曲はどの曲ですか?
FUKASE: 「銀河街の悪夢」。自分の体験の歌だから、いつも歌ってて、自分が初心に返れる。
NAKAJIN: でも最近新しい曲を作ると、それが自分の中のベストソングになるところがあるから、今は「炎と森のカーニバル」。
SAORI: 「RPG」。サビの歌詞を自分で書いたんですけど、それを今、3歳とか4歳の子どもが街中で歌ったりしてる。それがすごく嬉しい。
DJ LOVE: そうだなぁ、その日によって変わるからなぁ。今日は...うーん、まぁでも大体の日は「インスタントラジオ」だったりするんだけどね。頭の中にずーっと浮かんでたから。
FUKASE: 「インスタントラジオ」は、彼がやってた「インスタントラジオ」っていうインターネットラジオのオープニングの曲として、僕が作った曲。

TJ: 音楽以外のご趣味は何ですか。
FUKASE: 僕はサイクリング。
SAORI: 読書です。それから、宇宙に興味があ ります。
NAKAJIN: 僕はインドアクライミング。
DJ LOVE: まあいっぱいあるからなー。最近だとけん玉。

TJ: 歌詞に時々英語が使われていますが、なぜですか。
FUKASE: うーん、英語が好きだから。高校の時、アメリカンスクールにいたから、その時から興味があった。Saoriちゃんも最近一生懸命勉強し始めた。

TJ: 歌詞は誰が書かれているのですか。
SAORI: DJ LOVE以外は全員、曲も作るし歌詞も書く。

TJ: 個人的な質問になりますが、Fukase さんはきゃりーぱみゅぱみゅさんとお付き合いされているのですか。
FUKASE: 仲が良いですよ、友達。

TJ: きゃりーぱみゅぱみゅさんのどんなところが素敵だと思われますか。
FUKASE: 明るい。すごい元気。あと頭もいいかなぁ。

TJ: 彼女の血液型をご存知ですか。
SAORI: B ですよ。

TJ: どれくらいお友達付き合いをされていますか?
FUKASE: 1年半。

TJ: 出会いは?
FUKASE: コンサートに来てくれたんです。

TJ: では、今取り組まれている最大のプロジェクトは何でしょうか。
FUKASE: 今海外の人と音楽を作ってて、それが一番大きいプロジェクト。

TJ: もしこのバンドに入ってなかったら、何をしていたと思われますか。
FUKASE: 俺は精神病院から出てきてないと思う。バンドにいると強い。でも、ひとりだとやたら怖い。

TJ: 精神病院に入院した経験からどんなことを学ばれましたか?
FUKASE: 学んだのは何かのせいにしちゃいけないなってこと。人のせいにしちゃだめだし、 家族のせいにしちゃだめだし、恋人のせいにしちゃだめだし、時代のせいにしちゃだめだし、 全部自分のせいだから、全部自分でコントロール出来るってことを学びました。

TJ: 今悩んでいる人に何かアドバイスはありますか。
FUKASE: そうだなぁ、「銀河街の悪夢」でそれは歌ってるんだけども、「強くなれ」かな。それぐらいかな。tj

 

The complete article can be found in Issue #275 of the Tokyo Journal. Click here to order from Amazon.

Written By:

Anthony Al-Jamie

Anthony Al-Jamie lived and worked in Japan for over 20 years. His in-depth understanding of Japanese language and culture has allowed him to carry out interviews with many of the most renowned individuals in Japan. He first began writing for the Tokyo Journal in the 1990s as Education Editor, later he was promoted to Senior Editor, and eventually International Editor and Executive Editor. He currently serves the Tokyo Journal as Editor-in-Chief.



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