Anthony Al-Jamie lived and worked in Japan for over 20 years. His in-depth understanding of Japanese language and culture has allowed him to carry out interviews with many of the most renowned individuals in Japan. He first began writing for the Tokyo Journal in the 1990s as Education Editor, later he was promoted to Senior Editor, and eventually International Editor and Executive Editor. He currently serves the Tokyo Journal as Editor-in-Chief.
Known simply by her first name, Chiaki has not only been a Japanese television icon for over two decades, but she is also known as the lead vocalist of Pocket Biscuits; a voice actress in the beloved Doraemon anime series; a children’s clothing designer and the author of children’s, cookery and parenting books. Her most recent endeavor is the children’s app Mirno’s Adventures - The Precious Strawberry Ring. Tokyo Journal’s Executive Editor Anthony Al-Jamie spoke with Chiaki about her career and newest project.
Summer Comiket 2014
August 15-17, 2014 in Odaiba, Tokyo, Japan
This issue features interviews with a number of the world’s most extraordinary people including one of the greatest minds in the world today, the esteemed MIT Professor Noam Chomsky; Nelson Mandela-appointed South African constitutional court judge and freedom fighter Albie Sachs; CNN chief medical correspondent & practicing neurosurgeon Dr. Sanjay Gupta; Kyocera founder and one of Japan’s most respected business leaders Dr. Kazuo Inamori; Los Angeles Mayor Eric Garcetti on his recent trade delegation to Asia; and one of Japan’s greatest rock groups of all time X Japan and their bandleader Yoshiki (pictured here) on their historic concert at New York’s Madison Square Garden.
Dr. Sanjay Gupta, who can be seen on the ground reporting from sites of natural disasters and wars around the world, discretely changes from suit to scrubs on Monday mornings to perform neurosurgery on patients’ brains, spinal cords and other parts of the nervous system. Dr. Gupta is CNN’s multiple Emmy award-winning chief medical correspondent. In addition to hosting CNN’s Vital Signs, he has reported on topics ranging from health care reform to brain injury, medicine, HIV/AIDS, fitness and dis- aster recovery. Dr. Gupta advised First Lady Hillary Clinton as a White House Fellow and authored three New York Times best-selling books. He is currently the associate chief of neurosurgery at Atlanta, Georgia’s Grady Memorial Hospital and a member of the staff and faculty at the Emory University School of Medicine. He is so committed to the profession of neurosurgery that to continue his work as a practicing neurosurgeon he withdrew his name from consideration for the position of Surgeon General of the United States. If all of this isn’t enough to qualify him for superhero status, then add being named as one of the sexiest men alive by People magazine and one of the most influential celebrities by Forbes. Tokyo Journal Executive Editor Anthony Al-Jamie spoke with Dr. Sanjay Gupta on December 3, 2014 for an update on the Ebola outbreak and insight into medicine, health and the multifaceted doctor’s extraordinary career.
Albie Sachs is one of South Africa’s most noted political activists and judges. Appointed by Nelson Mandela to the Constitutional Court of South Africa, Albie was among the group of 11 judges who certified the country’s groundbreaking Constitution after the first democratic elections in 1994. Sachs, who holds a law degree from the University of Cape Town and a Ph.D. from Sussex University, began his legal career defending victims of apartheid’s repressive laws. His work with the freedom-fighting movement, resulted in him being put in solitary confinement for nearly six months without trial and later went into a 24-year exile in England and then Mozambique, where in April 1988 he lost his right arm and sight in one eye due to a car bomb. Sachs, who retired in 2009, has received multiple awards, including the Tang Prize for the Rule of Law. He continues to write, teach and speak internationally about the South African experience in healing divided societies. Tokyo Journal Executive Editor Anthony Al-Jamie spoke with the eloquent freedom fighter Albie Sachs about his groundbreaking achievements and his views of the world today.
Tokyo Journal Executive Editor Anthony Al-Jamie talked with singer and actor Genki Hirakata, who starred as the White Rabbit in the HoriPro musical production of Alice in Wonderland in Tokyo, Osaka and Nagoya in November and December 2014.
2014 proved to be a busy year for 23-year-old actress and singer Mitsuki Takahata who starred as Helen Keller in the stage play The Miracle Worker and appeared in the TV drama Cheering Beat for Tomorrow, Gunshi Kanbei, the made-for-TV movie Tokyo Sentimental, the domestic film Jossy's and in the international film The Vancouver Asahi. The Vancouver Asahi, based on the legendary Japanese-Canadian baseball team, was featured at the Hawaii International Film Festival as well as the Vancouver International Film Festival where it scored the top audience award–the Rogers People’s Choice Award. Her past work includes the title role in a five-year run of the stage play Peter Pan and a two-year role in the TV drama Kinpachi Sensei, one of Japan’s most beloved TV dramas with a three-decade history. The singer has also released two albums and three singles. She shows no signs of slowing down by performing in the stage play Iyaounashini in January and February 2015 as well as the TV drama Restaurant with Something Wrong in January 2015. Tokyo Journal Executive Editor Anthony Al-Jamie spoke with Mitsuki about her recent projects.
TJ: 音楽を始めたきっかけについて教えてください。
HEATH: 子どもの頃から音楽が好きで、家庭の中に常に音楽が鳴ってる状況だったんですね。というのは、僕の家には楽器がちょこちょこ転がってたり。やり始めたのは、小学生の四年生ぐらいの時かなぁ。出身は兵庫県です。
TJ: X Japan加入のきっかけは?
HEATH: 大阪の方で、バンドを組んでまして、で、僕が21歳の時に、東京に出てバンドをしようっていう決心をしたんですね。で、ちょうど僕の知り合いの方がHIDEさんとすごく交流のある方で、そこでHIDEさんを紹介してもらったんですね。僕は東京でバンドを作って違うバンドをやってたんですけど、ある時HIDEさんから電話がかかってきて。東京出て来て2年ぐらい経った時かな。「ちょっとスタジオ来て音出ししてみない?」っていう風にお誘いを受けたんで、Xの曲を5曲ぐらいコピーをして、スタジオに行ったんですね。で、その時は加入してくれとかそういう話は一切無くて、ただちょっと音を合わせたいからということで。で、スタジオに行ったらもうメンバーさんが全員いらっしゃって。5曲ぐらい演奏して、僕はすぐ帰ったんですけど、帰った後にまたすぐHIDEさんから連絡がありまして。「皆がちょっと気に入ったみたいだから、ちょっと話して」っていう風に。「Yoshikiととりあえず話してよ」ってHIDEさんから言われたんで、お話しに行きました。そこで初めて、ちょっとこれから海外も含めて色々活動していきたいんだけど、やってくれないかなということで、そこでyesって言いました。
TJ: X Japanの成功の秘密は何でしょうか?
HEATH: やっぱり応援してくださるファンの方たちの思いがすごく伝わってくるバンドなんですよ、X Japanって。それにこう、魂を揺さぶられてる感じもします。僕個人的には。それが原動力となって前に進んで行けるという。それが成功…というか、まだまだだとは思うんですけど。まだ海外の方にも出たばっかりなんで。
TJ: X Japanの成功の秘密は何でしょうか?
HEATH: やっぱり応援してくださるオーディエンスの方たちの思いがすごく伝わってくるバンドなんですよ、X Japanって。それにこう、魂を揺さぶられてる感じもします。僕個人的には。それが原動力となって前に進んで行けるという。それが成功…というか、まだまだだとは思うんですけど。まだ海外の方にも出たばっかりなんで。
TJ: X Japanのメンバーでよかったと感じるのは?
HEATH: そうですね、一番の楽しみはやっぱりすごく個性的なメンバーが揃ってるので、毎回音を出す度にすごい刺激があるんですね。興奮するというか。スタジオでリハーサル中でも、各個人のパートの楽器が鳴り出すとすごく興奮する。
TJ: 一番難しいことは?
HEATH: 一番難しいのはスケジュールの調整ですね。
TJ: ご自身の性格について教えてください。静かな方ですか?それともよく話す方ですか?
HEATH: 普段は静かな人ですね。お酒を飲むとよくしゃべるんですけど。
TJ: HIDEさんとのご関係は?
HEATH: HIDEさんは僕より3つ歳が上なので、やっぱりすごくお兄さん的な存在で。いつも心配して見てくれてるような、心の優しい人ですね。
TJ: Toshiさんについて教えてください。
HEATH: うーん、Toshiさんも年上なので、よく声掛けてくれたりしますね。もう皆優しいです。見た目とは違って(笑)。
TJ: Yoshikiさんの一番良いところは?
HEATH: そうだなぁ、一番となるとちょっと難しいのですが、やっぱり尊敬できるアーティストであり、プレイヤーです。Yoshikiさんの叩くドラムの音がすごく好きなんですね。ライブでカウントが鳴った瞬間に全身が包まれるような感じ。それがこう、音となって会場に響き渡る感じがすごく気持ちよくて。そういうのを出せるプレイヤー、アーティストの方は少ないと思うので、すごく尊敬できる。
TJ: PATAさんについてはいかがですか?
HEATH: PATAさんも優しいです。PATAさんも同じくギターサウンドがすごく個性的で。ライブの時は隣がPATAさんだから、僕が一番近くで演奏することになるんですけど、あのレスポールとマーシャルアンプから出されるギターサウンドがすごく気持ちよくてね。あれはまたPATAさんにしか出せない音なんだなぁと思います。
TJ: X Japanが解散した後、PATAさんとは同じバンドで活動されていましたよね?
HEATH: はい、Dope HEADzです。
TJ: SUGIZOさんについて教えてください。
HEATH: SUGIZO君はそうだな、すごく真面目で、寡黙で。何て言うのかな、すごく真面目な人です。
TJ: 音楽に対して?それとも全般的に?
HEATH: そうですね、真面目な人ってこういう人のことを言うんだなって思うくらいすごく真面目ですね。リハーサルですごく熱心に音作りとか皆より早く入ってやってたり。すごく寡黙っていうのかな。
TJ: プロのミュージシャンとして一番難しいことは?
HEATH: 難しいところ…そうだなぁ、メンタルを保つところですかね。
TJ: 一番楽しいことは?
HEATH: やっぱりライブ。ライブって楽しいなっていうのと、あと音楽やってると、たくさんの出会いもあるし。X Japanで海外のツアーとかもやらせてもらったりして、音楽を通じてまたたくさんの人と出会えて、またどんどん前進していけるっていう喜びがあります。そこが好きですね。
TJ: 横浜アリーナとマディソン・スクエア・ガーデンで演奏されましたが、大きな違いは何でしたか?
HEATH: そうだなぁ、あまり違いは感じなかったんですけど、セットリストも同じだったのかな?確か。なんだけど、回数を重ねるとやっぱりこう、仕上がって来るというか。横浜アリーナのステージも素晴らしかったんですけど、マディソン・スクエア・ガーデンはさらに何て言うかな、固まってたと思います。えっと、良いものになってたと思います。
TJ: 海外に住まれたことは?
HEATH: ロスに少し。Xに加入してすぐぐらいにロスに行きましたね。何年くらいいたかな?3年ぐらいいましたかね。
TJ: 外国に住むとしたらどこに住みたいですか?
HEATH: 一度ニューヨーク行ってみたいです。
TJ: 英語は勉強されていますか?
HEATH: はい。少しずつ。
TJ: 夢は何ですか?
HEATH: そうですね、ロックを通して国境を越えるっていうのが1つのハードルだったんですけど、今回X Japanが復活して、1つの大きなハードルを越えてマディソン・スクエア・ガーデンとかの海外ツアーもできたので、さらにたくさんの海外の人たちにもX Japanのいいところを知ってもらえるように頑張って行きたいです。それが夢ですね、次の。夢は実現していかないとっていう。
TJ: 音楽を始めたきっかけについて教えてください。
PATA: 中学生の時、妹がアコースティック・ギターを持ってたんですよ。それでテレビとかでチープ・トリックとかを見てちょっとギター弾いてみたいなーと思って。それで触ったのが初めてかな。
TJ: 譜面を読む勉強をされましたか?
PATA: はい。楽譜や本を見てよく練習しました。
TJ: 譜面を読むのは得意ですか?
PATA: いや(笑)。
TJ: 初めてバンドに参加したのはいつですか?
PATA: 16歳の時、高校の友達と一緒に始めたのかな?Head Rockか、Black Roseっていう名前のバンドだったかな。ちょっと忘れちゃった。ギターでした。アイアン・メイデン、ラウドネス、ジューダス・プリーストのカバーを2年ほどやってました。その後、オリジナルの曲をやるバンドをやったかな。そこでドラマーが抜けてしまって、でYoshikiに会うわけです。それが1985年。19か20歳の頃でした。YoshikiとToshiはXをやっていて、でもXはメンバーがToshiしかいなかった。Yoshikiは3週間くらいうちのサポートをしてくれていて、それで知ってました。で、Xがギタリストが抜けてしまってメンバーを探していたと。ある年のお正月ぐらいにYoshikiから電話がかかってきて、ギターを弾いてくれって言われたんですよ。そこからなんか知らないけどずるずるといますね。それが始まり。
TJ: X Japanのどんなところが特別ですか?
PATA: メンバーだからわからない。だってね、中にいるからわかんないよ。
TJ: ToshiさんとYoshikiさんについて教えてください。
PATA: Toshiは歌うまいよね。Yoshikiは、何だろう、あのドラムには持ってかれます。そこに尽きるんじゃないかな、もう。エネルギーの塊みたいな奴だから。最初に昔やってたバンドに入ってくれって言ったことがあるんですよ。だけど、逆にXに入ることになっちゃった、みたいな。
TJ: HEATHさんについてはいかがですか?
PATA: HEATHは途中から入って、頑張ってくれてるよね。とても寡黙と言えば寡黙。割とおとなしいかな。あまりしゃべらない方だけど、フレンドリーな人ですよ。
TJ: Yoshikiさんから、PATAさんはお酒を飲むとよくしゃべると伺ったのですが。
PATA: その通り。今度はぜひお酒を飲みながら。その方が楽だ。
TJ: SUGIZOさんについて教えてください。
PATA: SUGIZOはLUNA SEAやってる頃から知ってる。一緒にギターを弾いたのはXで初めてかな。バンドで一番気を使ってくれる人かな。
TJ: SUGIZOさんとPATAさんはよくライブの後一緒に飲みに行かれるそうですね。SUGIZOさんがお二人は昔ながらのロッカーで、ライブの後には飲みに行かないと気が済まないとおっしゃっていましたが。
PATA: うん、セットだからね。ライブとお酒。
TJ: デリケートな質問ですが、亡くなられたHIDEさんとTAIJIさんとの良い思い出について教えてください。
PATA: 一番良いのはやっぱり一緒にステージに立ってられたことかな?まぁあとは一緒に飲んでたぐらいかなぁ。
TJ: マディソン・スクエア・ガーデンはいかがでしたか?
PATA: まぁ楽しかったなっていうのが一番なんですけど、うーん、なんだろう。ステージに立てて良かったなーと思うかな。マディソン・スクエア・ガーデンの。特別な思い入れはありました。レッド・ツェッペリンの「The Song Remains the Same」で育った人ですんで、一緒かと思えば、ちょっと嬉しかったの。
TJ: 横浜アリーナで再びライブをしていかがでしたか?
PATA: あぁ、久しぶりだったしね。とりあえずどこでも楽しいかな。おっきくてもちっちゃくても、どこでもとりあえずステージの上は楽しいや。
TJ: 海外に住まれたことは?
PATA: ロサンゼルスでアパートを借りたことがあります。3〜5年くらい。
TJ: 将来海外に住む予定は?
PATA: 明日の飯の予定も立ってねぇからな・・・わかんねえっす。
TJ: 夢は何ですか?
PATA: 死ぬまでギター弾いてられたらいいかなぁ。そんなもんでいいんじゃないっすか(笑)。
TJ: マディソン・スクエア・ガーデンが終わって、これからライブをしたいところはありますか?
PATA: うーん、どこにしよっかな・・・ヤンキース・スタジアム(笑)
TJ: 若いミュージシャンに向けて何かアドバイスはありますか?
PATA: やってりゃ楽しいことあるんじゃない?ってか、keep on rockin’ってことじゃないですかね。
TJ: ありがとうございました。PATAさんはクラシックなロッカーですね。
PATA: 俺をクラシックにしないでくれ(笑)。まだ生きてるよ(笑)。
TJ: マディソン・スクエア・ガーデンはいかがでしたか?
SUGIZO: 最高でした。名誉ある場所で、ベストを尽くしました。世界各地から来たファンの皆からの熱い思いを感じました。ライブの間中、結束感がありました。僕にとってはそれが一番大切で、すごく嬉しかったです。僕のギタープレイはベストではありませんでしたが、あの情熱は最高でした。X Japanのファンの皆が本当に大好きです。素敵な人たちです。
TJ: なぜギタープレイはベストではなかったと感じられたのですか?
SUGIZO: わかりません。いつももっと良くなるだろうと思っていますし、ミュージシャンとして成長して、もっと良くしたいと思っています。
TJ: 9月の横浜でのライブと10月のマディソン・スクエア・ガーデンでのライブはどう違いましたか?
SUGIZO: スタッフはほとんど一緒でしたが、ステージが違いました。マディソン・スクエア・ガーデンのステージは本当に小さいんです。東京ドームや横浜アリーナの方がずっと大きいです。そこが大きなチャレンジでした。でも、第一印象は「マディソン・スクエア・ガーデンってそんなに大きくないんだ。オッケー、オッケー。わかった」という感じで、リラックスすることができました。
TJ: ファンの皆さんはどうでしたか?
SUGIZO: 最高でしたよ、もちろん。いろんな人種の人が来てくれていて、素晴らしい光景でした。彼らの気持ちや情熱が、本当に素晴らしかったです。いつでもまた皆のために演奏したいです。
TJ: ギターもバイオリンも素晴らしい演奏ですね。バイオリンはどこで習得されたのですか?
SUGIZO: 両親がオーケストラの団員で、音楽教育にすごく熱心だったんです。バイオリンを始めた時はまだ3歳だったので、初めて弾いた時のことは覚えていませんが、両親の思い入れが強すぎて負担でした。小さい頃はバイオリンを弾くのが嫌いだったし、音楽も嫌いでした。
TJ: ご両親はお二人とも東京都交響楽団の団員だったのですよね。
SUGIZO: はい。それで子どもの頃、強制的にバイオリンを習わされました。子供の気持ちなんて考えてなかったのだと思います。ただプロの音楽家になってほしかったんです。
TJ: 英語はどうやって勉強されましたか?
SUGIZO: 英語は得意ではないんです。娘に毎日笑われています。この子が娘の瑠奈です。カリフォルニアに住んでいます。
TJ: 初めまして。アメリカには長く住んでおられるのですか?
LUNA: はい。ずっとこっちに住んでいます。
TJ: 娘さんには幼い頃から音楽を教えられましたか?
SUGIZO: いえ。本人がやりたいのなら、もちろん何でも喜んで教えてやろうと思います。今は歌をやりたいようです。歌とダンスが好きみたいです。聞いてみてはいるのですが、どうなんでしょうね。今は18歳で、難しい年頃です。娘が望むなら心から応援しますが、本人次第ですね。
TJ: アメリカに住んだことは?
SUGIZO: ありません。ロンドンには、初のソロプロジェクトのレコーディングで1年ほど住んだことがあります。ロンドンにはたくさん友人がいたし、現地の文化やミュージック・シーンなど、丸ごと楽しみました。ドラムとベースの層が厚いんです。イギリスのテクノやヒップホップは素晴らしいと思いました。僕のギターの師匠である土屋昌巳氏と、僕の親友で、日本でベースをやっていたミック・カーン氏と遊んだりしました。ミックは数年前に亡くなったのですが。
TJ: X Japanとの出会いは?
SUGIZO: LUNA SEAがインディーズ・ロックで有名な目黒でライブをしていた頃、X Japanはすでに日本では大スターでしたが、僕たちが演奏していた小さなライブハウス「目黒鹿鳴館」でもライブをしていました。最初にHIDEさんと会ったのは1990年、僕は20歳くらいで目黒のパブだったと思います。X Japan の中ではHIDEさんと最初に知り合いました。音楽について語り合い、親しくなりました。
TJ: HIDEさんとは親しかったのですか?
SUGIZO: はい。HIDEさんが僕のことをYoshikiさんに紹介してくれました。HIDEさんは兄のような存在でした。後輩ミュージシャンのことをいつも気にかけてくれたんです。とても優しくて、かわいいところもありました。でも時には激しい一面を見せたり、やんちゃをすることもありました。どんな時も魅力的でした。
TJ: HIDEさんのことを思い出す時、どんなことを思われますか?
SUGIZO とても寂しいです。魅力的な人柄がとても恋しいです。もう一緒にはいられないんだと改めて感じます。 かつてはいつも一緒に飲みに行って笑ったり、一緒に演奏したりしていました。あの頃がとても恋しいです。亡くなる前の年に行き違いがあって、亡くなる直前は関係がこじれてしまっていました。そんな中でHIDEさんが亡くなってしまい、当時は素直になれませんでしたが、今は彼の素晴らしさを思い出します。とても良い思い出です。
TJ: なぜ当時うまくいっていなかったのですか?
SUGIZO: 原因は音楽的なことです。兄弟げんかのように、ささいなことがきっかけでした。
TJ: ミュージシャンとして、HIDEさんのことをどう思いますか?
SUGIZO: アイデア豊かな人でした。アーティストとしての創造性に優れていた。彼はただのうまいギタリストではありたくなかった。ギタリストであるだけでは満足できず、アーティスト、ギタリスト、ボーカリスト、プロデューサー、クリエイターとして、もっとスケールの大きなことをやりたかったんです。ミュージシャンとしてたくさんの顔を持つ彼から僕は大きな影響を受けました。HIDEさんは本当に、まれに見る才能に恵まれていました。
TJ: HIDEさんがLUNA SEAを発掘したということになるのでしょうか。HIDEさんがSUGIZOさんをYoshikiさんに紹介したんですよね?
SUGIZO: はい、そうです。
TJ: そしてYoshikiさんのエクスタシー・レコードがLUNA SEAのアルバムをプロデュースしたのですか?
SUGIZO: はい。HIDEさんは僕たちとエクスタシー・レコードの仲を取り持ったキューピッドです。
TJ: HIDEさんとYoshikiさんの関係は?
SUGIZO: 兄弟のようでした。親友だったと思います。HIDEさんが、Yoshikiさんのお母さんのように感じられる時もありました。Yoshikiさんのことを気遣い、心から大切に思っていました。いつも僕に、「僕はいつかYoshikiの本を書く。僕には書ける」と言っていました。HIDEさんはYoshikiさんのことをいつも見ていて、「Yoshikiのことを完璧に理解することはできないけど、興味が尽きない人間だよね。見ていて面白いよ」と言っていました。
TJ: どちらが年上ですか?
SUGIZO: HIDEさんの方がYoshikiさんより1歳上でした。
TJ: HIDEさんが亡くなられたことは本当にお辛かったでしょうね。
SUGIZO: はい。本当に辛かったです。兄を亡くしたようでした。
TJ: 音楽に何か影響はありましたか?
SUGIZO: どうでしょう。音楽が変わったかどうかはわかりませんが、僕の心はおそらく変わったと思います。HIDEさんの優しい、素敵な精神を受け継ぎたいと思っています。
TJ: メンバーの皆さんからSUGIZOさんは真面目で練習熱心だと伺いました。今日インタビューさせていただいたHEATHさんも、そうおっしゃっていましたよ。
SUGIZO: 僕から見れば、HEATHさんこそとても真面目なミュージシャンだと思います。ステージ裏でもいつもベースを弾いているし、四六時中練習しています。素晴らしいプレイヤーだと思います。
TJ: Yoshikiさんと一緒にお仕事していてよかったと思うことは?
SUGIZO: 何より、Yoshikiさんの音楽に触れられること。人間的にも素晴らしくて、兄のような存在です。
TJ: 年齢差は?
SUGIZO: 4歳違いです。Yoshikiさんは誕生日をXにしているので、秘密かもしれません(笑)。でも、皆知っていますよ。僕より4歳上です。
TJ: Yoshikiさんの一番ユニークなところは?
SUGIZO: すごくマイペースなことですね。
TJ: ご自身のドラムのビートと同じなんですね!
SUGIZO: そうですね(笑)。
TJ: Toshiさんについて何か教えてください。
SUGIZO: 僕と話す時、彼は非常にシリアスです。とても尊敬していますが、ミステリアスでもあります。すごく優しいんですが、ステージに立つと別人のようになります。歌声が素晴らしいですね。Toshiさんの歌声が本当に好きです。あんな人は他にはいません。
TJ: PATAさんについてはいかがですか?
SUGIZO: 僕はPATAさんが大好きです。仲が良くて、一緒に飲んだりします。X Japanのワールドツアーでは、Yoshikiさんはたくさんのスタッフや友人などを引き連れ、Toshiさんともども外に繰り出していましたが、PATAさんと僕は2人で飲んでました。ギタリストの性なのかもしれません。飲まなくては!と思うんです。僕から見ると、PATAさんは天性のロック・ギタリストです。彼のギターサウンドを尊敬してるし、スタイルも大好きです。
TJ: なぜX Japanはこれほど成功したのでしょうか?
SUGIZO: 音楽の力だと思います。X Japanにはすごくカリスマ性があります。90年代初めの音楽ファンが求めていたのは、X Japanが生み出す力強くて美しい音楽だったんです。
TJ: X Japanのメンバーでよかったと感じるのは?
SUGIZO: X Japanの好きなところはたくさんあります。今もHIDEさんとつながっていると強く感じるし、ステージに一緒にいるような気がすることもあります。ギターを弾く時、僕は一人じゃありません。何かスピリチュアルなものを強く感じます。一緒に演奏したいというHIDEさんの意志と思いを、時々、いえ、ステージではいつも感じます。僕は一人じゃないと思えることがとても嬉しいです。
TJ: X Japanでの一番の思い出は?
SUGIZO:ワールドツアーです。3年前に長期のワールドツアーをやりました。どこの国も、どこの会場も素晴らしかったです。世界中のファンの皆さんが大好きです。もう一度会いたいファンがたくさんいます。僕の一番の思い出は、ファンひとりひとりの顔や魂、声、涙、そういったもの全てです。
TJ: ご自身の考えを巧みに発信なさっていますね。
SUGIZO: 僕は世の中に対していろいろ意見を持っています。それはアーティストの使命だと思っています。例えば、今の日本の政治情勢は非常に厳しいですが、僕はどんなことにも僕なりの考えを持っています。友人やファンを大切に思うからこそ、皆と意見を共有したいと思っています。
TJ: 坂本龍一氏と共演しておられますが、坂本氏は積極的な社会活動や環境への関心、反原発の主張で知られていますね。
SUGIZO: はい。彼は僕の良き師です。13歳の頃から大ファンでした。実際にお会いしたのは1995年だったと思います。日本の音楽雑誌のインタビューでお会いしました。もちろん、僕は大ファンですと言いました。すると、喜んでくれました、いえ、そうだといいんですが。とにかくそれが最初の出会いでした。
TJ: 政治的に影響を受けましたか?
SUGIZO: 彼には僕を感化しようなんていう気は全くなかったんですが、僕は彼から多くを学んだと思います。僕に一番大きな影響を与えたのは娘ですね。娘が生まれて、全てが変わりました。政治や哲学について考えるようになりました。娘が生まれる前は、僕はまるで子供でした。社会に対して何の責任も感じておらず、全然気にもしていませんでした。でも、娘を持って初めて、次世代のために世の中をより良くするのは自分たちの責任なのだと気付きました。
TJ: 選挙戦出馬のご予定は?
SUGIZO: ありません。でも、良い政治家の方々は応援したいです。社会問題を無視しないことは、全てのアーティストにとっての責任です。
TJ: どのような問題に一番関心がありますか?
SUGIZO: 例えば、エネルギー問題や生態系に関する問題、もちろん日本の景気や戦争、原子力発電などにも関心があります。世界中の人が平和を望んでいると思います。戦争をしたがるのはごく一部の人たちで、それはお金のためです。原子力発電に関しても同じです。それによって利益を得る、ごく一部の権力者が支持しているのです。今、日中韓の関係は非常に複雑ですが、音楽ファンやアーティストはそんな状況を望んでいません。例えば、僕たちは中国のファンの皆さんが大好きで、中国や韓国の素敵なファンの皆さんもX Japanが好きです。それは素晴らしいことです。権力に固執する一部の保守的な政治家によって対立が生まれていることが残念です。でも、僕たちアーティストやミュージシャン、映画やエンターテインメント業界の人たちのほとんどは、ひたすら平和を望んでいるのです。
TJ: 今後の個人的なご予定は?
SUGIZO: 今は東京に住んでいてとても忙しくしています。生まれ育った神奈川の町が大好きで、1日休みを取って故郷で過ごすのがささやかな夢ですね。
TJ: よく運動されますか?
SUGIZO: はい。すごく大切ですね。プロのアスリートや武道家の方々のように、僕たちにとっても体調管理は非常に重要です。体調が万全でないと、ベストの演奏ができません。僕たちひとりひとり、ギターやベース、Yoshikiさんのドラム、またToshiさんの声にとっては特にそうです。Toshiさんの声は高くて、すごく魅力的です。でも喉に特別なケアをする必要があります。ワールドツアーの時は特に、彼の声や体調の管理は最優先事項です。湿度や気温など、あらゆる条件が変わるので、僕たち全員にとって、特にToshiさんにとっては大変です。
TJ: X JapanとLUNA SEAで演奏するのは何が違いますか?
SUGIZO: スタイルです。X Japanで演奏するには体を鍛える必要があります。
TJ:ミュージシャンになってなかったら、何をしていたと思いますか?
SUGIZO: 何でしょうね。難しい質問ですが、画家か詩人、もしくは武道家ではないでしょうか。子どもの頃、ボクシングが大好きでプロになりたいと思っていたし、ブルース・リー氏が生み出したジークンドーを15年間続けていたんです。最近は練習していませんが、武道は今も好きです。
TJ: 音楽のインスピレーションはどこから得ていますか?
SUGIZO: 僕の音楽は非常に精神的なものです。普通のロックとは違います。演奏する時、そこにいる人や、世界中の人と一体感を感じたいと思っています。うまく説明できませんが、スピリチュアルで、宇宙的な体験をしたいのです。あらゆるジャンルの音楽を取り入れて、スピリチュアルな音楽を作りたいです。
TJ: 他の楽器についてはいかがですか?トランペットは今も演奏されますか?
SUGIZO: したいのですが、一番大切なバイオリンとギターに集中しなくてはいけないので時間がないんです。
TJ: 海外ツアーは今後も行う予定ですか?
SUGIZO: ぜひやりたいです。X Japanは今年2回目のワールドツアーをしようと考えていますし、LUNA SEAや自分のソロ活動といった他の活動もあります。でも全ての活動において、海外でも演奏したいと思っています。僕にとっては大切なことなのです。
TJ: ミュージシャンであることに満足していますか?
SUGIZO: はい。基本的にはとても幸せです。楽ではないです。生活やスケジュールは大変ですが、音楽が大好きなので幸せですね。僕の使命です。
TJ: 一番大変なことは何ですか?
SUGIZO: ハードスケジュールをこなすことです。いつも忙しいんです。ゆっくりする時間が全然ありません。そうしたいんですが。今年はそんな時間ができたらいいですね。